阿波美アワビ図鑑・田井の浜日記:徳島県美波町

徳島県美波町・田井の浜周辺の地域情報&ご当地掲示板!

【田井の浜俳句】【2023年10月の俳句】

中秋の名月と田井の浜

 

【俳句】田井の浜を舞台にして~

 

【田井の浜俳句】

【季語 春の海】真珠色散りばめまぶし春の海 詩朋

【季語 夏の海】胸騒ぎ波より騒ぎ夏の海   詩朋

【季語 秋の海】人知れず童に還る秋の海   詩朋 

 

2023年10月7日 由岐句会

【2023年10月の俳句】

おけら鳴く羊数えて眠れぬ夜     詩朋

▼鳴き声を聴いてみる▼ 

www.youtube.com

桐一葉はたと気づきし生きる意味   詩朋

 

【エッセイ】もしもあなたの生まれた街が、朝ドラの舞台になったら?(これを書いた時期2020年4月、東京)

ウェルかめ〜それは、大いなる夢の始まりだった!



【※2020年4月に書いたエッセイの内容を、以下丸ごと転載します!】

 もしもあなたの生まれた街が、朝ドラの舞台になったら?

 

 

 「朝ドラが始まる~ぅ! 早く、早く……起きなくちゃ……」(心の声)

 

 平日休みの日、NHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」が目覚まし時計になっている。休みの日に損したなぁ~と思うのはやっぱり、うかつにも昼前まで寝すぎてしまった時である。……が、朝ドラの「続きを早く見たい!」という欲求は、無駄に長時間寝すぎる事を、しっかりと防ぐ役割を果たしてくれている。

 

 現在は「エール」が放送されている朝ドラだが、やはりいつも中毒性がある。必ず続きが気になる終わり方をする。そのお約束がある為、なかなか観るのを辞められない。最近は「半分、青い。」を見始めてから、観るのを辞められなくなってしまった。結果的に「エール」が、志村けんさんの遺作になってしまった事もあって、これから志村けんさん出演回に向けて、再び朝ドラが盛り上がっていくような予感がしている。

 

 

 

 

 そんな朝ドラではあるが、僕はかなりの無名な地方出身者であるという自覚があったので、生まれ故郷が舞台になるTVドラマが放送されるなどという想像は、人生のある時期までは全くした事がなかったのだが、ある年にそれが思いがけないタイミングで、現実のものとなった。

 

 それが2009年(平成21年)に放送された「ウェルかめ」(倉科カナ主演)である。舞台は、徳島県美波町(みなみちょう)。僕が生まれた町であるが、知らない人が、ほとんどだろう。このドラマが放送されていた頃、千葉県に住んでいたが、子どもの頃遊んだ砂浜や、最寄駅、初詣に行っていたお寺等が、帰省していないにも関わらず、毎日テレビで大写しで見られるのである。毎日が歓喜の連続だった。「うわぁ~、これは田井の浜」「おぉ、大浜海岸でロケが行われとったん?」……放送中は、かなり興奮していた事を覚えている。

 

 主人公であるヒロイン・波美(なみ)の職業は、出版社勤務であるという設定で、雑誌編集の裏側にも興味のあった僕としては、十分に楽しめる内容だった。にも関わらず、ネットでは主演女優・倉科カナの巨乳しかあまり話題になっていなかったこともあって、方言等が全国には受け入れられにくいのかと少々残念に思った記憶がある。美波町出身者としての視点で見ていると、かなりツボにハマるシーンの多いドラマだったが、知らない人たちにとっては、とっつきにくい部分もあったようだ。

 

「全話DVDセットが発売されたら、絶対に買うぞ!」と、強く決意していたドラマであったが、放送終了後に発売されたDVDは、総集編スペシャル1巻のみであった。

 

 今、改めて朝ドラの歴代視聴率ランキングを振り返ってみると、残念ながら「ウェルかめ」は、平均視聴率13.5%でワースト1位になってしまっている。ストーリー的には、十分面白かったのだが、それでもワースト1位になってしまったのは、やはり放送されていた時間帯が、時代に合わなくなってきてしまっていたからだろう。

 

「ウェルかめ」までは、放送時間が8時15分から8時30分までだった朝ドラが、次の「ゲゲゲの女房」からは、8時から8時15分までに変更された。その影響もあってか、「ゲゲゲの女房」からは平均視聴率18.6%と約5%ほど盛り返している。視聴率ワーストランキングの中に入っているドラマは、ほぼ2004年から2009年までの作品に集中しており、結果的にその時期が朝ドラ冬の時代になってしまっていた事がわかる。決して出演されていた俳優さん達や、脚本家の責任だけではないと思う。

 

「ウェルかめ」の中で、とても印象に残っているシーンがある。それは小学生時代のヒロイン「波美」と、大手出版編集長「近藤セツコ」との会話の1シーンである。

 

波美「夢ってどうやったら、かないますか?」

近藤「あなたの夢は何?」

波美「先生のように都会に行って、世界とつながって、いろいろな情報を自分らしく伝えられる人になる事です」

近藤「そう、じゃぁ、一つだけ教えてあげる。どんな夢でもねぇ、夢はかなえるものなの。時間はかかるけど、かなえるの、かなえちゃえばいいのよ!」

 

 この会話は、後に成長して雑誌編集者になった波美が、近藤セツコと再会したシーンでも、再度繰り返される。

 

「どんな夢でもねぇ、夢はかなえるものなの。時間はかかるけど、かなえるの、かなえちゃえばいいのよ!」

 

 久しぶりにDVDを再生して、改めてこのシーンを振り返ってみたが、やはりこのシーンは、見ていて胸が熱くなる。このシーンだけでも、このドラマには十分、見る価値があったように思う。

 

 もしもあなたの生まれた街が、まだ朝ドラの舞台になっていなかったら?……

 

 とても幸せな事だと思う。なんてったって、将来……あなたの故郷が、ドラマの舞台になるかもしれないという夢を、いつまでも持ち続ける事ができるから。

 

 令和になってからの……我が地元・美波町がどうなっているかというと……

 

 ここ2~3年、帰省した時に感じるのは、朝ドラブームが完全に終わってしまい、また元の過疎の状態に、じわじわ逆戻りしていっているという事実である。

 

 地元が寂びれていく様子を、ただただ指をくわえて見続けているだけでは悲しい。

 

 だからこそ僕は今、地元を盛り上げる為の活動も、「小説」の力を借りて、これから始めていきたいと思っている。

 

 地元を舞台にした面白いミステリーを書き、それをいつかヒットさせる。ドラマ化されれば、再び画面の中に、大きく映し出された故郷の街を見る事ができる。映画化されれば大きなスクリーンの中に、故郷の景色を眺める事ができるのだ。

 

 ……そのような妄想を描きながら、今年は久しぶりに長編小説をなんとか書ききろうと思っている。(たぶん今年書く作品では、地元は舞台にしないと思うが……

 

 自分の書いた小説がドラマ化されるのを目指す! 映画化されるのを目指す!

 

「そんなの絶対ムリ!」って笑われそうな夢だけど、そう思う度ごとに「ウェルかめ」のセリフが蘇ってきて、心の底から離れない。

  

 朝ドラは主人公の生き様から、人生を振り返るきっかけを与えてくれる展開が多い。見方によっては、朝ドラが夢を叶えるドラえもんの役割を果たしてくれる事も、十分ありえると思っている。

 

「どんな夢でもねぇ、夢はかなえるものなの。時間はかかるけど、かなえるの、かなえちゃえばいいのよ!」

 

***********以上、転載終わり

 

 このエッセイを書いてから半年後、私は、とある小説家養成講座にて、提出した小説のあらすじの設定がおかしいと講師の先生から指摘され、ボコボコに批判された。そして、その後しばらくは、すぐには立ち上がれないほどに凹んでいた時期がある。

 しかし、その一ヶ月後に、エッセイ集出版プロジェクトの編集をやってくれないか?というオファーをいただいた。引き受けたことによって、今の私がある。しばらくエッセイ集の編集長業務に専念する事になり、その後、無事に全国出版された事によって、その事実こそが私にとって、大いなる自信となっている。つまり、壮大なる夢の続きは、まだまだこれからだという事なのである。……チャンチャン!

【詞】町おこし小唄

美波推し!

【詞】町おこし小唄

 

太陽旅立つ金の波

名月浮かぶ銀の波

地球を包む藍の波

三波揃いし美波町

 

アワビ集めて美波町

伊勢エビ取れて美波町

地ビール呑んで美波町

ほんまえ~とこ美波町

 

皆が知らない美波町

皆が忘れた美波町

皆が気づかぬ美波町

 

ほんならワイらで調べよか?

ほんならワイらでまとめよか?

ほんならワイらで知らせよか?

 

やるで! 美波の町おこし

【エッセイ】 あの頃、海と“イノチ”の記憶

由岐港

【エッセイ】(幼少期、由岐小学校時代)


 
あの頃、海とイノチの記憶

 

 海が好きなのだ! 海こそ僕の故郷だから……それは四国の右下、漁師町……合併で、今は美波町(みなみちょう)という名になった過疎の町。甘い記憶に、ほろ苦い記憶、少年期の栄光と挫折の眠る町。

 

 七歳の頃の記憶。生家の二階から海が見える。すぐ前を通っている橋の周りがまだ舗装されていなかった頃、土手づたいに下まで降りると潮干狩りができた。バケツ抱えて、砂利遊びをする。しじみはタダで採れる。ばあちゃんに渡すと翌朝、みそ汁の具になった。採ったものが食卓に乗る不思議な感覚。子どもながらに、自給自足の初体験。岩浜に行くと、野生のヒトデやウニがいる。しかし、ウニには手を出せなかった……触ると痛そうに思えたので……浅瀬には名も知らぬおサカナさんたちが泳いでいる。それが、幼年期の水族館そのものだった。今でも唯一、都会で昔の記憶と再会できる場所は、水族館しかない。

 

 十歳の頃の記憶。友達から聞いた噂。海から少し山中に入った場所に、おがくずが大量に溜まっている場所がある。カブトムシの幼虫をたくさん捕まえられる場所らしい。水槽を持っていき、大量に土と幼虫を持ち帰る。成長を待ちわびながら、たまに掘りおこして観察する。やがてサナギになり、成虫になる。一体だけ誤ってサナギのツノの部分を傷つけてしまった。それ以外のサナギは全て、かっこいいツノのカブトムシになったが、一体だけ残念ながら奇形のツノのカブトムシになった。なんたる失態、子どもながらに大ショックだった。それ以来、怖くなって幼虫を育てられなくなった。すべてが自然の学びだった。都会に持っていけば売れるものも、自然に捕まえれば全てタダだ。親戚の家の夕食が、食用ガエルの鍋だった時がある。トノサマガエルと遊ぶのが大好きだった僕は、カエルの鍋は食べられなかった。実家の近くに養豚場があり、金網ごしに啼いているブタを眺めているのも好きだった。魚も豚肉も全く食べる事ができなかった。親からは偏食だと思われていたが、生きている時の姿を想像してしまうから、子どもの頃の僕は、食べる事ができなかったのかもしれない。

 

 今では魚も豚も食べている。しかし、大人の皮を被って長く暮らしているうちに、子どもの頃のピュアな感覚の大半を失ってしまっているような気がしてならないのだ。大人になるという事の全てが、いい事ばかりであるとは限らない。失くしてしまった感覚を取り戻せるのかどうか? 今度海を見に行った時に試してみたいと願っている。それは、何故か? やっぱり僕は海(シー)が好きだと思うから。いつまでもピュアな感覚を失わないでいる事、それが詩人にとって一番大切な事だと思うから。

【詩】【徳島市内~1996年7月~】 この街~失われた10年に想いを寄せて~

徳島市回想記

【詩】【徳島市内~1996年7月~】

   (阿波詩集、回想記)



この街~失われた10年に想いを寄せて~

 

駅の左側にCITYができて 

大喜びしたのは何年前の話だっけ?

駅の右手にアミコができて 

すんげぇ!と思ったのは何年前の話だっけ?

その駅がいつの間にやら クレメントプラザに変わって

もうどれぐらい月日は 繰り返しているんだっけ?

 

本が大好きだった僕が よく利用していた駅前の本屋さん

中に入ればほとんど変わっていない 

あの頃とほとんど変わらない内装

それでも その中で 売られている商品はすべて 

入れ替わってしまった

 

遠くの方に眉山が見える 元町商店街を歩いていく

そこには あの頃と変わらない風景 

強い陽射しとアーケード

今年も 阿波踊りのシーズンが来るのを 

この通りは待ちわびている

 

懐かしい新町橋が見えてきた

眉山がますます その大きな姿を 

僕の目の前に表してくる

橋の脇では小さな噴水が 真夏のオアシスを演出している

これでも確かに懐かしさは感じているのだが 

幼い日々の僕の姿は 

どうやら ここでは迷子になってしまっているらしい

 

東新町の通りを歩いていく 

もはや営業をやめてしまった百貨店

 

あの頃と微妙に違っているのは 

たぶんちょっとしたお店の雰囲気と

街を行く若者たちのファッション

ダイエーの手前には いつのまにできたのだろうか?

「コルネの泉」という ちょっとオシャレな噴水広場

 

あの頃よく来た映画館でさえ 

それらがある場所は変わっていなかったが

それをとりまく 街の気配がもはや 

あの頃とは変わり果てているのだ 

 

あぁ 暑い! ふぅっと溜息をついた時 

東新町を吹き抜ける風

阿波踊りの垂れ幕が ユラユラと 

まるで阿波踊りのように揺れる

この街に よしこののリズムが響き渡るのも もうすぐ

 

藍場浜公園で 楽しそうに遊んでいる子供達

お母さんに連れられて 虫取り網と虫かご

わんぱく笑顔で振り回す 元気をふりまいている

あはははは そこ行くちっちゃなお嬢ちゃん

随分楽しそうだねぇ それでも僕には 

ここで遊んだ記憶はないのです ねぇ この場所は

僕の想い出の場所じゃぁなくって お嬢ちゃんがいつか

おっきくなってお嫁さんになる頃には きっと 

お嬢ちゃんにとっての想い出の場所

 

いつの日にも 街は人々の生活の中で深い息をしていて

僕らの記憶なんかおかまいなしに 

ただその表情を変えていく

思えば 街とは とってもわがままな生き物

十年ひと昔と 人はよく言うけれど 懐かしい風景など 

今ではもはや幼い頃の記憶の中にしか 

その生命を感じる事はできない

この街もずいぶんと変わってしまった

 

が しかし 変わってしまったのは 決して街だけではない

十年という歳月は 追いかけるべき夢も

愛すべき人への想いも すべて 

そして この僕のすべてさえも 変えていってしまった

 

街に歴史があるように 一人の人の人生という

一つの歴史の流れがあって

その流れがお互いに交錯し 乱れあい 憎みあい 愛しあい

新しい生命が生まれ そして

それらひとつひとつの出来事が 積み重ねられて 

築き上げられていくのが きっと街と人の歴史

 

街の表情が変わっていくのは 決して 悪い事ではない

古い建物が壊され その土地が有効活用され 

街が近代化されていくように 僕らもよりよく

変わっていこう! ちょっぴり退屈になった愛だって

その愛し方を工夫すれば なんとかやってゆけるだろう

 

あぁ 僕の想い出の街よ! 

さようなら さようなら 

また逢う日まで

今の僕には 想い出ばっかりは 

あんまりたくさんいらないのです

 

明日っから 

どうやって生きていこうかな?

 

もしも嫌いな自分が

僕の中にいたとしたら

 

そいつを追い出して

 

そいつを追い出して

 

僕をきれいにしなくっちゃ! 

 

僕をきれいにしなくっちゃ!

 

これからも 

もっともっと良くなるように

 

僕を磨いていかなくっちゃ 

 

僕を変えていかなくっちゃぁ

 

ねぇ 街を吹き抜ける風よ! 

そう思わないかい?

 

十年前よりは随分と素敵になった 

この街のように・・・ネ!

【児童文学】【東由岐由宇が浜】 ひみつのすいぞくかん

ひみつのすいぞくかん

【児童文学】【東由岐由宇が浜】

(メインタイトル)阿波で一番美しい砂浜の物語



ひみつのすいぞくかん

    

 

うにさん   こんにちは

ひとでさん  こんにちは

 

おさかなさん ごめんね

ぼくは きみのなまえをしらないの

 

ふなむしさんは きちゃいや!

うみうしさんも きちゃいや!

なまこさんも  きちゃいや!

 

かんちょうは ぼく

 

ここは ひみつのすいぞくかん

ながめているのは ぼくだけ

 

しょーは なんにもないけれど

このすいぞくかんはぼくだけのものだよ

 

すなはまで

かいすいよくなんかするよりも

 

いわにかこまれた このばしょで

おさかなさんたちと 

 

ひみつのおあそびをするの

そのほうが ぜったいにたのしいの

こんな きれいなながめ

 

てれびやずかんじゃ 

ぜったいにみれないんだから

 

これが きみたちの 

ありのままのすがたなんだね

 

ぜったいに いじめたりしないから

 

そのまま そのまま ぼくのめのまえで

ずっとずーっと おどっていておくれよ

【詩】【木岐白浜】 金銀砂夜

金銀砂夜・書作品/「作・居和城幸代」

【詩】【木岐白浜】

(メインタイトル)阿波で一番美しい砂浜の物語



金銀砂夜

 

月は銀色 この夜の闇は永遠

波は灰色の鏡 薄い光の色のみを乱反射する

 

僕は 一人で海を見つめている

静かな 波のささやきが聴こえてくる

こういうひとときも 僕にとっては永遠

 

ねぇねぇ! まんまるお月さんよ!

僕に答えてほしいのです

僕は今 何故ここにいるのですか?

 

真っ白い時間が流れる

この時間も すべて永遠

 

砂浜は金色 はかない生命体にとっては

この場所は永遠の砂丘 月夜の砂漠

 

はるかかなた 遠くの方まで眺めている

船上から洩れる薄明かりと水面の

向こう側で振り子細工のように

ひっそりと揺れている 揺らめいている

街の灯火だけが 人間社会の生命の営みを

この砂浜でたった一人の僕に 語りかけてくれる

 

今日は 波さんとお話ししたいのさ

ねぇ 僕の悩み事すべて 聞いてくれるかい?

 

砂浜にしゃがみこんで 

見つけだしたのは月光色の貝殻

 

僕は 手の平の中に それを

ギュッとしまいこんで

潮風に吹かれながら 

波の歌を唄っていました

 

その夜の事は もう

詳しくは 覚えていません

 

星は あまり

きれいではありませんでしたが

月の光だけは 

やけに健やかで 明るく明るく

水面を照らし続け 

 

僕の回想の記憶の中へと

 

しっとりと しっとりと 

しっとりと ゆっくりと 

 

まるで石清水のように いつまでも

しみいってくるのでありました・・・